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更新日:2018年6月15日

佐世保空襲

第二次世界大戦中の昭和20(1945)年6月28日から29日にかけて、佐世保の市街地は、アメリカ軍の爆撃機による大規模な空襲を受け、多くの犠牲者が出ました。
佐世保市では、毎年6月29日を「佐世保空襲の日」と定め、「佐世保空襲死没者追悼式」を執り行っています。

佐世保空襲の概要

昭和20(1945)年6月28日の午後11時58分、空襲の予告を知らせる「警戒警報」なしに、いきなり「空襲警報」を知らせるサイレンが断続して鳴りました。
大雨のため油断していた隙をつくかのように、「空襲警報」のサイレンが鳴り始めたころには、「モロトフのパン籠」と呼ばれた約1トンの焼夷弾が、次々と市街地に投下され、またたく間に市街地は「火の海」と化しました。
主要な建築物が戦災で焼失してしまった後の市街地は、文字通り焼け野が原となり、戦災後1ヶ月以上は、髪の毛を焼いたような匂いが漂っていたと言われています。
それでも佐世保に留まっていた住民たちは、大空襲の翌日から早速に焼け跡の整理に取り掛かったと、空襲を証言する多くの「声なきこえ」によって語り継がれています。(参考:「佐世保市史」通史編下巻)

焼失面積 178万平方メートル(全市街地面積の3分の1)
焼失家屋 全焼 12,037戸(全戸数の約35%)
半焼 69戸
被災者 60,734人(全人口の27%)
うち死亡者 1,242人
うち負傷者 336人

死亡者数は「佐世保空襲犠牲者遺族会」調べ

 


焦土佐世保
(1)焦土の佐世保

 


市役所周辺
(2)佐世保市役所付近

 


本通り
(3)佐世保の本通り

 


saseboeki
(4)佐世保駅

 


夜店通り
(5)夜店通り

 


島瀬町周辺
(6)島瀬町周辺

掲載写真出典:「終戦直後の佐世保」(有限会社芸文堂昭和61年7月1日発行)から

佐世保空襲死没者追悼式

佐世保市では、「佐世保空襲の日」である6月29日に、空襲で犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、佐世保空襲の歴史的事実を後世に伝え、恒久平和について理解をいただくことを目的として、「佐世保空襲死没者追悼式」を執り行っています。
また、毎年6月の約2週間、市役所内において「佐世保空襲写真展(資料展)」を実施し、空襲にまつわる写真や資料の展示を行っています。

 

 


市長追悼のことば

 


参列者献花

 


祇園小学校児童代表による千羽鶴の献呈

 

佐世保空襲資料室

佐世保空襲犠牲者遺族会では、毎週土曜及び日曜に「佐世保空襲資料室」を開場されています。
資料室では、当時の貴重な写真や資料等をご覧いただけます。

場所 佐世保市戸尾町5-1
旧戸尾小学校2階
開場日時 土曜・日曜10時~15時
上記以外でも、希望があれば対応可能
問い合わせ 佐世保空襲犠牲者遺族会
会長臼井:090-9603-0676
副会長山口:080-3183-2085

 

資料室の様子


空襲資料室のある旧戸尾小学校

 


資料室廊下の掲示物

 


資料室内部正面が死没者一覧

 


資料室内部の遺品展示

 


焦土と化した市街地

お問い合わせ

市民生活部市民安全安心課

電話番号 0956-24-1111

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