ホーム > 安全・安心 > 援護 > 佐世保空襲

ここから本文です。

更新日:2018年3月8日

佐世保空襲

 第二次世界大戦中の昭和20(1945)年6月28日から29日にかけて、佐世保の市街地は、アメリカ軍の爆撃機による大規模な空襲を受け、多くの犠牲者が出ました。
 佐世保市では、毎年6月29日を「佐世保空襲の日」と定め、「佐世保空襲死没者追悼式」を執り行っています。

 

佐世保空襲の概要

 昭和20(1945)年6月28日の午後11時58分、空襲の予告を知らせる「警戒警報」なしに、いきなり「空襲警報」を知らせるサイレンが断続して鳴りました。
 大雨のため油断していた隙をつくかのように、「空襲警報」のサイレンが鳴り始めたころには、「モロトフのパン籠」と呼ばれた約1トンの焼夷弾が、次々と市街地に投下され、またたく間に市街地は「火の海」と化しました。
 主要な建築物が戦災で焼失してしまった後の市街地は、文字通り焼け野が原となり、戦災後1ヶ月以上は、髪の毛を焼いたような匂いが漂っていたと言われています。
 それでも佐世保に留まっていた住民たちは、大空襲の翌日から早速に焼け跡の整理に取り掛かったと、空襲を証言する多くの「声なきこえ」によって語り継がれています。(参考:「佐世保市史」通史編 下巻)

 焼失面積  178万平方メートル(全市街地面積の3分の1)
 焼失家屋  全焼  12,037戸(全戸数の約35%)
 半焼  69戸
 被災者  60,734人(全人口の27%)
 うち死亡者  1,242人
 うち負傷者  336人

※死亡者数は「佐世保空襲犠牲者遺族会」調べ

 



(1)焦土の佐世保

 



(2)佐世保市役所付近

 



(3)佐世保の本通り

 



(4)佐世保駅

 



(5)夜店通り

 



(6)島瀬町周辺

※掲載写真出典:「終戦直後の佐世保」(有限会社 芸文堂 昭和61年7月1日発行)から

佐世保空襲死没者追悼式

 佐世保市では、「佐世保空襲の日」である6月29日に、空襲で犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、佐世保空襲の歴史的事実を後世に伝え、恒久平和について理解をいただくことを目的として、「佐世保空襲死没者追悼式」を執り行っています。
 また、毎年6月の約2週間、市役所内において「佐世保空襲写真展(資料展)」を実施し、空襲にまつわる写真や資料の展示を行っています。

 


市長追悼のことば

 


参列者献花

 


祇園小学校児童代表による千羽鶴の献呈

 

佐世保空襲資料室

佐世保空襲犠牲者遺族会では、毎週土曜及び日曜に「佐世保空襲資料室」を開場されています。
資料室では、当時の貴重な写真や資料等をご覧いただけます。

 場所  佐世保市戸尾町5-1
 旧戸尾小学校2階
 開場日時  土曜・日曜 10時~15時
 上記以外でも、希望があれば対応可能
 問い合わせ  佐世保空襲犠牲者遺族会
 会長 臼井:090-9603-0676
 副会長 山口:080-3183-2085

 

資料室の様子


空襲資料室のある旧戸尾小学校

 


資料室廊下の掲示物

 


資料室内部 正面が死没者一覧

 


資料室内部の遺品展示

 


焦土と化した佐世保港

お問い合わせ

市民生活部市民安全安心課

電話番号 0956-24-1111

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページは見つけやすかったですか?

このページの内容はわかりやすかったですか?

このページの内容は参考になりましたか?