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更新日:2017年10月1日

郷土の歴史(佐世保市の主な遺物)

泉福寺洞窟出土品(国重要文化財)

泉福寺洞窟出土品(国重要文化財)

泉福寺洞窟から出土した5万点を超える遺物のうち、豆粒文土器をはじめ、旧石器時代末から縄文時代草創期にかけての土器・石器約2000点が重要文化財に指定されています。島瀬美術センターに保管しています。

豆粒文土器⇒隆起線文土器⇒爪形文土器⇒押引文土器⇒条痕文土器という縄文時代草創期における土器の変遷が明らかとなりました。旧石器時代末期に使用されたとみられる細石核や細石刃が多量に出土しました。これらは土器の起源とヒトの行動とのかかわりを探る重要な遺物です。

豆粒文土器(世界最古級の土器)

豆粒文土器(世界最古級の土器)

泉福寺洞窟では、昭和47年に当時世界最古といわれていた隆起線文土器が出土しました。翌年、その下層から表面に豆粒をモチーフにした土器片が出土しました。この土器は、「豆粒文土器」と命名されて、科学的分析の結果、約1万3000年前にさかのぼることが判明しました。昭和54年の調査において、復元可能な豆粒文土器も出土しました。

高さ20センチメートル程度、口の広さは直径12センチメートルほどで、底は丸いものと平なものがあります。土器の表面には煮炊きに使った時のススや、煮こぼれが焦げついた炭が着いていました。

下本山岩陰埋葬人骨

下本山岩陰埋葬人骨

下本山岩陰の地層は、混貝層、貝層、灰層などが互層になり、最下層には縄文時代前期の轟A式期の包含層がありまし。この最下層面で前期の埋葬が検出されています。

最上層では弥生時代の石棺1基が検出されました。表土などから後期の土器片が出土しており、伸展葬であることからも後期の範疇に入ると考えられます。石棺には頭位を違えて男女2体が合葬されていました。いずれも熟年であり、先に男性が埋葬されて、まだ骨格化しないうちに女性が追葬されています。弥生時代になると岩陰は生活地ではなく、墓地として利用されています。

現在、この埋葬人骨は国立科学博物館に貸し出し中です。

三島山経筒

三島山経筒

三島山古墳の北側の崖で銅鏡が入った経筒が発見されて、明治26年に建てられた三島神社の祠の後に祀られました。

経筒は高さ36cm、直径18cm程の滑石製の筒です。平安時代の後期になると、政治が乱れ、末法思想が広がっていました。地方の有力者の中には死後の安楽を祈って各地に経塚を建て、そこに経筒を埋葬しました。早岐にもそのような財力の豊かな階層がいたことを示しています。宋時代の胡州鏡や景徳鎮産の青白磁、合子、小壺などが納まっていました。

江永古窯出土品

江永古窯出土品

寛永20年(1643)木原に小山田佐平、江永に辰次郎を担当として三川内御用窯の三皿山の制度が出来たとされますが、江永山の陶業は、元禄8年(1695)ごろ木原の横石家が分窯したことに始まるといわれています。

全長60m10室に及ぶ寛政時代で終わる窯の下に、2つの窯が確認されました。江永古窯の最古の窯からは、白磁染付磁器が出土し、木原の地蔵平東窯から分窯して、元禄時代に開窯したことが確認されました。

お問い合わせ

企画部島瀬美術センター

電話番号 0956-22-7213

ファックス番号 0956-22-7226

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