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更新日:2022年2月15日

立神広場の歴史公園整備に伴う「佐世保鎮守府倉庫跡遺跡」の発掘調査結果について(お知らせ)

世保市教育委員会では、令和3年12月から同4年2月にかけて、本市立神町に所在する「佐世保鎮守府倉庫跡遺跡」において歴史公園の整備に伴う発掘調査を行いました。その成果報告として、発掘調査現地説明会をコロナ禍を考慮して関係者等に限定して開催しましたので、その内容をお知らせします。

立神調査遠景

発掘調査に至る経緯

在佐世保市では、立神音楽室を含む立神広場を佐世保鎮守府の歴史や日本遺産「鎮守府」のストーリーを紹介する「歴史公園」として整備する構想を進めています。今回の発掘調査は歴史公園の施設が整備される予定地に建物跡などが埋蔵されていないかどうかを確認するとともに、発掘調査で確認された遺構を公園整備に活用することを目的に令和3年12月21日から令和4年2月4日までの予定で実施したものです。

歴史公園の整備について

構を活かした展示を計画しており、既存の煉瓦倉庫を展示・休憩施設として改修するほか、海側には日本遺産「鎮守府」を紹介するガイダンス施設を新たに整備します。併せて広場内の遺構を一巡りする散策路や広場の隅にはかつてあった土堤とほぼ同じ高さの築山を設け、広場内や周辺の建物を眺めることができるよう計画しており、令和7年度のオープンを目指して整備を進めています。

歴史公園イメージ

検出された代表的な遺構

弾薬包庫

弾薬包庫

治21年(1888)11月に2棟同時に完成した「弾薬包庫」のうちの1棟(もう1棟は現立神音楽室)です。弾薬包とは弾丸と薬莢(薬莢)が組み合わさった弾薬のことで、明治33年(1900)には爆発事故に備えて土堤が周囲に構築されました。建物周囲に設けられた排水溝も含めて良好に保存されていることが確認されました。この建物基礎は公園整備の中で露出展示を計画しています。

爆発管庫

爆発管庫

治22年(1889)2月に完成した「爆発管庫」の跡です。爆発管とは砲弾を起爆させる信管のことと考えられます。終戦時の図面には記載されていましたが、今回の調査で初めて詳細な遺構が確認されました。弾薬包庫と同じく基礎は石造りで、壁は煉瓦造の建物でした。

廃棄艦処分品第一仮格納庫

廃棄艦処分品仮格納庫

正11年(1922)に建設された「廃棄艦処分品第一仮格納庫」の跡です。大正10年(1921)11月から翌11年2月まで開催されたワシントン海軍軍縮会議により、主要国の海軍では主力艦の廃棄や新建造の停止が決められ、それらの艦艇から取り外した部品を保管する倉庫が大量に必要になりました。そのうちの第1号倉庫がこの場所に建てられました。構造は木造平屋建て、鉄板葺きの建物で、床面が重量物を載せることからコンクリート造となっています。

回の発掘調査では立神広場全体にいくつもの遺構が良好に保存されていることがわかりました。立神広場に歴史公園を整備することが極めて意義深いことであることが改めて確認されたといえます。

 

 

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電話番号 0956-24-1111

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