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更新日:2024年4月11日
第二次世界大戦中の昭和20(1945)年6月28日から29日にかけて、佐世保の市街地は、アメリカ軍の爆撃機による大規模な空襲を受け、多くの犠牲者が出ました。
佐世保市では、毎年6月29日を「佐世保空襲の日」と定め、「佐世保空襲死没者追悼式」を執り行っています。
昭和20(1945)年6月28日の午後11時58分、空襲の予告を知らせる「警戒警報」なしに、いきなり「空襲警報」を知らせるサイレンが断続して鳴りました。
大雨のため油断していた隙をつくかのように、「空襲警報」のサイレンが鳴り始めたころには、「モロトフのパン籠」と呼ばれた約1トンの焼夷弾が、次々と市街地に投下され、またたく間に市街地は「火の海」と化しました。
主要な建築物が戦災で焼失してしまった後の市街地は、文字通り焼け野が原となり、戦災後1ヶ月以上は、髪の毛を焼いたような匂いが漂っていたと言われています。
それでも佐世保に留まっていた住民たちは、大空襲の翌日から早速に焼け跡の整理に取り掛かったと、空襲を証言する多くの「声なきこえ」によって語り継がれています。(参考:「佐世保市史」通史編下巻)
焼失面積 | 178万平方メートル(全市街地面積の3分の1) | |
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焼失家屋 | 全焼 | 12,037戸(全戸数の約35%) |
半焼 | 69戸 | |
被災者 | 60,734人(全人口の27%) | |
うち死亡者 | 1,242人 | |
うち負傷者 | 336人 |
死亡者数は「佐世保空襲犠牲者遺族会」調べ
(1)焦土の佐世保
(2)佐世保市役所付近
(3)佐世保の本通り
(4)佐世保駅
(5)夜店通り
(6)島瀬町周辺
掲載写真出典:「終戦直後の佐世保」(有限会社芸文堂昭和61年7月1日発行)から
佐世保市では、「佐世保空襲の日」である6月29日に、空襲で犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、佐世保空襲の歴史的事実を後世に伝え、恒久平和について理解をいただくことを目的として、「佐世保空襲死没者追悼式」を執り行っています。
また、毎年6月の約2週間、市役所内において「佐世保空襲写真展(資料展)」を実施し、空襲にまつわる写真や資料の展示を行っています。
市長追悼のことば
参列者献花
祇園小学校児童代表による千羽鶴の献呈
佐世保空襲犠牲者遺族会では、毎週土曜日及び日曜日に「佐世保空襲資料室」を開場されています。
資料室では、当時の貴重な写真や資料等をご覧いただけます。
場所 | 佐世保市戸尾町5-1 市民活動交流プラザ3階 |
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開場日時 | 土曜日・日曜日10時~15時 上記以外でも、希望があれば対応可能 |
問い合わせ |
牛島:080-5249-2575 |
資料室の様子
空襲資料室のある市民活動交流プラザ
資料室廊下の掲示物
資料室展示写真等
佐世保空襲の状況に関する展示
図書資料室正面が墓銘碑
図書資料室内部
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